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2010年2月24日 (水)

和笛と洋笛

最近書いていませんでしたが、僕は隔週で吉沢実先生のリコーダー教室に通っています。前回の講習では、先生が古今東西のいろいろな笛を持ってきて演奏してくれました。リコーダーが中世の初期のもの(吹いてくれたのはもちろんレプリカですが)から現在のものに至るまでどう進化してきたか、パンフルートや角笛といった素朴な笛、日本の伝統的な笛などを見て(聴いて)いるうちに、西洋と日本では笛という楽器の考え方がまったく違うことを知りました。最初に西洋の笛を一通り演奏したあとで日本の笛を吹いてくださったのですが、吹く前に「うるさいからビックリしないでね」と言うんですね。そして実際吹くと、本当にものすごいんです。笛でこんな音が出るのかと。単に音が大きいというレベルを超えて、何と言うか、空気の波動が耳の鼓膜をぐいぐい押してくる感じです。このまま聴き続けていると精神がどうにかなってしまうのではと思うほどの音。西洋のリコーダーやフルートのような、うっとり聴き入ってしまう楽器とはまるで音色が違うのです。

なぜ西洋の笛と日本の笛とでは音色がこうも違うのか? 吉沢先生によると、日本の笛は屋外で演奏することを前提としているから音が大きいということでした。日本の笛は基本的に神事で使われるものなんですね。西洋のように屋内で娯楽や芸術として演奏されるのではない、屋外の聖なる場所で神や霊を呼び出す、一種の装置としての役割が日本の笛にはあるわけです。

そのルーツは石笛(いわぶえ)にあると思われます。海に行くと、貝によって穴が開けられた石がたくさん落ちていますが(吉沢先生は観音崎の海岸でよく石笛になりそうな石を探しているとのこと)、古代の人はそれを吹いて、精霊との対話を試みたのでしょう。そのためには精神をトランス状態にする必要があり、和笛の一種狂気さえ感じるようなあの音色はその手助けになったのだと思います。

対して西洋の笛の原型となったリコーダー(Recorder)は、その名が示すとおり「録音機」「記録するもの」という意味があります。何を記録するかというと、鳥の鳴き声ですね。きれいな鳥の声を真似するための道具が西洋の笛なのです。したがって日本と西洋では笛そのものの意味と使われ方が全く異っていたと言えます。

そしてそのことを再認識したのが、先日の記事にも書いた、能楽師安田登さん主催による「国語の授業」です。授業の後半は俳句と能のコラボレーションという、一風変わった趣向で行なわれました。黛さんの俳句に能の旋律をつけて謡うとどうなるかという、ひとつの実験です。黛さんを挟んで左に安田さん、右に槻宅聡さんという囃子方(笛方)ががつきます。そして安田さんが能のように旋律をつけて俳句を謡い、それに合わせて槻宅さんが笛(能管)を吹きます。始める前に槻宅さんが言ったのは「この位置だと黛さんの耳を悪くしてしまうので、もう少し離れますね」という言葉。僕はリコーダー教室でのことを思い出しました。

安田さんが槻宅さんの言葉の補足としておっしゃったのは「能の演奏というのは、とにかくうるさくするんです」ということ。能は基本的には幽霊の話であり、霊的なものをあの世から呼び出すために騒々しい音を出すのだそうです。なので、単なる場の感情を盛り上げるためだけの伴奏ではなく、言ってみれば映画「未知との遭遇」で宇宙人との会話に音楽が使われたようなものですかねw。映画の中で宇宙人の応答を得るためにフランソワ・トリュフォー演じるラコーム博士が、演奏の仕方を「もっと速く! もっと速く!」と、どんどんピッチを上げさせたのは、能の「うるさくする」ということに通じるのかもという解釈もできて、ちょっと面白いです。ちなみに能の笛方の人は、笛の音が出るほうの耳が(能管は横笛です)たいがい悪いとかw。

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