« 宿題 | トップページ | 6月の素粒子カフェ »

2010年5月24日 (月)

人生観

今週、地方の中学生だか高校生だかの学生さんが、おそらく修学旅行のついでだと思いますが、会社見学に来る(千駄ヶ谷のほう)ので、人生の先輩として、今後の進路についてのアドバイスをお願いしますと言われました。この類のメッセージを求められたときにいつも思うのは、自分の弱点を無理に克服しようとするよりは、自分が得意なことをさらに高いレベルでできるように精進するほうが断然いいだろうということです。人によって程度はあると思いますが、誰しも自分が好きなこと、興味のあることは他人から言われなくてもどんどんやっちゃいますよね。逆に嫌いなこと、興味のないことはやれと言われてもなかなかやれないものです。かける時間が同じであれば、当然得意なことを勉強したほうが成果があがるわけです。

不得意なものを時間をかけて何とかできるようになったとしても、人並み以上にそれができるようになるかというと、その可能性は低いわけで、しかもいったんできるようになったとしても、元々得意ではない、それほど興味のないことなので、たぶんそれ以上に勉強して、もっと上達しようなどとは思わないでしょう。人生は短いので、あれもこれもできるようになろうなんてのははなから無理な話です。だったら、得意な分野をとことん突き詰めて、このことだったら俺に任せろみたいなレベルになれば、それは社会で生きていく上での強力な武器になります。人間はひとりで生きていくわけではなく、自分ができないことを得意としている人は当然いくらでもいますから、できないことはそういう人に任せればよい。自分は自分の得意な分野で力を発揮すればいいのです。

あいつができるなら俺もできるはずだというのは、まあ場合によってはあるでしょうが、所詮、生まれ育った環境も違えばDNAも違うので、他人ができるからと言って自分ができるとは限りません。むしろ、他人ができることは自分がやってもしょうがないので、自分の得意分野で、しかも他人がやらないことをできるようになったほうが得策だと思いますね。そういうものがうまく見つけられれば人生を有意義に送れると思うわけです。日本の場合、どうしても苦手なものを克服する努力がその後の人生の糧になるみたいな風潮がありますが、努力する場所を見極めないと、努力しているうちに取り残され、人生を棒に振ることもあるわけです。

これは僕の個人的な感覚かもしれませんが、どうしても「努力」という言葉にはネガティブなイメージを感じるんですね。本当は面倒くさいんだけど、やらなきゃいけないから何とかしてますみたいなイメージを感じるんです。自分の好きなことだったら、寝る間を惜しんで何かに入れ込んでも、たぶん「努力してる」と感じないはずです。僕も昔、誰かから「努力家だ」と言われたことがありますが、別に好きでやっているので、いくらやっても苦にならないから自分では全然努力しているとは思っておらず、「努力家」なんて言われると心外なわけです。例えば僕はプログラミングの勉強をするのは楽しいですが、そう思わない人はたくさんいます。そんな人が僕が寝る間を惜しんでプログラミングの本を読みふけっているのを見たら「努力している」と思うかもしれません。でも僕は好きで読んでいるので努力している気はさらさらないのです。

人生が無限に続くのなら、苦手なこともばっちり克服する時間もあるかもしれませんが、限られてますからね。できる限り有意義に生きたいものです。

|
|

« 宿題 | トップページ | 6月の素粒子カフェ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事