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2010年12月11日 (土)

能力とポテンシャル

先日CG専門学校の学生さんの採用面接をしたのですが、久々に唖然としてしまいました。自分から応募してきたにもかかわらず、うちの会社のことをほとんど知らないのです。知らないだけならまだしも、本人のやりたいこととうちの業務がまるで一致しないんですね。始末が悪いのは、学校の先生の推薦状があったことで、このような学生の推薦状を書くということは先生もうちの会社を知らないということでしょう。生徒さんも先生も、就職する(させる)気があるのなら、どの会社がどんな仕事をしているのかくらいは、ちゃんと研究してほしいと思います。

僕はこのように応募してきた人を面接する機会が少なからずあるわけですが、そういう立場にいると、人の能力というものについて考えることが多くなります。どんな人が仕事をうまくやっていけるのか、将来伸びるのかといったことです。その辺に関しては、僕は昔から「ダメな人はいくらやってもダメ、できる人はどうやっても伸びる」という考えで、これを覆せる人がいたらぜひ意見を聞かせてほしいと思っているくらいです。前にも書いたことがあるのですが、人の能力は子供時代、遅くとも中学くらいまでに固まるものだと思っています。大人になって急に何かやろうと思っても、その下地が子供時代にできていなければ必ず失敗します。

これはあくまでも個人的な意見ですが、いわゆる能力とか才能とかいったものは何も特別なことではなく、むしろ単純に経験時間で算出できるものではないかと考えています。たとえば日本人で英語がぺらぺらに話せる人を見ると「語学の才能がある」と思ってしまいますが、アメリカ人にとっては誰でもできることで才能でも何でもありません。つまり能力とは、それがない人から見ればすごいことのように思えますが、それがある人にとっては全く普通のことなのです。

「才能が開花する」という言葉のとおり、能力・才能とは桜の花が咲くことと一緒なのではないかと思っています。どういうことかと言うと、毎年冬の終わりになると桜の開花予想が出るわけですが、そういった予想ができるのは積分のおかげです。桜の花は単に気温が何度になれば咲くというものではなく、咲くために必要な積算温度があります。ある日を起点にして、1日の平均気温を毎日足していき、それが400度だか500度だか忘れましたが、ある温度に達すると咲くわけです。

同じように人の能力も積分で導き出せると考えます。つまり、あることにどのくらい時間をかけたかで決まるのではないかと。しかしいくら努力してもできないことはあるじゃないかと言われるでしょうが、それはまったくそのとおりで、これは年齢による「能力ポテンシャル」とでも言うようなものが影響するからだと思います。人間は生まれてから死ぬまで、年齢に応じた「能力ポテンシャル」を、誰も同じだけ持っていると考えます。

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この図で赤い線が能力ポテンシャルを表しており、0歳が最高でその後年齢を重ねるとともに急激に減っていきます。例えばAさんが10歳の時にあることを始めたとしましょう。Aさんはその後それをずっと続け、そのことに関する能力が緑の線で表されます。一方BさんはAさんと同じことを20歳のときに始め、その能力は青い線になります。BさんはAさんの能力を追い越すには普通にやっているだけ(青い線)ではだめで、そうとうな努力をすることで超えることができます(紫の線)。ただしAさんが10歳の頃からBさんが20歳からするのと同じ努力をしていれば(黄色)、Bさんは永遠にAさんの能力を上回ることはできません(黄色と紫の線はほぼ平行で、グラフだけで見ると同じ努力に見えますが、ポテンシャルが異なる位置から始まっているので、紫がこのような線になるには実際は黄色の数倍の努力が必要となります)。

と、まあこのようなことが、僕の人の能力についての持論です。

昨日の富士山の写真がちょっといまいちだったので。こちらは今日の富士山。いつもJPEGで記録しているのをRAWにしてみました。やはりRAWのほうが色幅を多くもっているので調整がきれいにできました。

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